秀吉も吉宗も、世界中の人がミイラを食べていた。
ミイラはお金になった
ということもあり、現在はあまり残っていません。
この具体的な話しをしよう。
薬になったミイラ
ミイラが売れるとわかった途端、盗掘ラッシュに。
ミイラは作られた数よりはるかにその量が少ないと言いますが、
その原因がミイラを「薬」として輸出していた為であるとされています。
14世紀の欧州では薬として使われ、
この13世紀から17世紀までのミイラ人気で盗掘が増えたようです。
そして、18世紀になると主要輸出先の一つが江戸時代の日本であり、
徳川吉宗や家重が注文をした記録が残っています。
「このおり、1800年代までに830kg・166体相当のミイラ(粉)が日本に入り、次第に安価になった」
という記録があります。
江戸時代以前にも、
豊臣秀吉に献上された薬の成分にミイラの名前が見られ、
世界的に有名な薬であったことがうかがえます。
その薬効としては、肺や子宮の止血、胃腸の炎症や痛みの緩和に効果有りとあり、
胃の痛みや食あたりなどの多くの病気に効果があるとされ、
大名から、次第に下々まで飲む薬であったといいます。
そもそも誰がミイラを薬と言った?
アラビア語の医学書を翻訳した時の誤訳
12世紀頃の翻訳家が「万能薬ムンミヤ」をミイラと間違って訳してしまったようです。
ムンミヤとは山で採掘できる「岩塩アスファルト」のこと。
これが昔は効果絶大として大人気の薬だったようだ。
それを知らず、
「ムンミヤとはミイラのことだった!」と訳してしまったものだから、
それはもう、「奇跡の薬がミイラだったなんて!」と商売根性たくましく盗掘へ。
もちろん、全く効果は無いと思われますが、
まぁ、12世紀のことです。信じてしまう時代でしょう。
それからずっと、「アラビアの万能薬」とされてしまったものです。
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以上、「秀吉も吉宗も、世界中の人がミイラを食べていた」でした。
薬以外にも、絵の具の材料になったり、肥料になったり、観光土産になったり、
ミイラは何かと喜ばれる存在だったようです。
昔は山ほどあったそうですが、現在では貴重な存在。
なんとも、人間の欲の対象になった可哀想な死体ですね。。
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この記事の作成日:2016年07月26日
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